TWITTERで小沢一郎議員が安倍首相の国会所信表明に対するスタンディングオベーションに対するコメントとして、経済や憲法メディアが完全に破壊されるのを止めるのは国民だけであるとした。
私も同じ意見であるが、それは選挙で単純に自公の保守を下野させるということだけではない。
現在が危機的なのは、危機的な時代に象徴される我々の総体、そしてその結果としての民主主義がかくも醜い結果を招いているということだ。
阿部首相やトランプ大統領候補を危険視するのは当然だが、彼らは民主的なプロセスで力を増している。そしてその力を背景に強権を振るおうとしている。
戦前も新聞が体制を翼賛した。そして力なき市民の声を飲み込んだ。その翼賛に多くが共感を送った。敗戦するとその事実を恥ずかしげもなく隠し、簡単に変節した。
嘘もつき続ければ本当になると自己正当化した。そうではない。それは弱き者につけを払わせるだけで、結果的に自分に戻ってくる。
自由主義経済と資本主義は構造的に大多数の敗者と極少数の勝ち組を生む。それを正当化するために民主主義や共産主義を攻撃する。
それはもちろん詭弁なので、結果は壊れる。将来は荒野である。貧しきものは飢餓に倒れる。戦後の大量生産の高度化による富は先進国の飢餓を減少させた。
その資本主義(金融資本主義)が限界なのだ。情報化がこの限界にまだカンフル剤を打ち続けているが、東京オリンピックのあと日本はもう先進国でないことを思う知るだろう。
そしてグローバルな弱肉強食の餌食として今度は総体としての飢餓に向かう。医療 年金を含む福祉は崩壊する。そして介護状態の中で飢えた終末を迎える。生きながらにして餓鬼道に落ちる。
自分の将来を知りたければ弱者に目を向けるべきである。すでに孤独死や飢餓は現実になりつつある。メディアはギリギリまでこの事実を隠蔽するだろう。
この事実に向き合うべき官僚は自分の逃げ場のみを確保することで特に何もしないだろう。そして気がつくと周囲の大多数が無職で、孤独で政治に関心が無く、日々の生活に汲々として何も変えられない集団となっている。
そして弱者同士で争い、権力との表層的な同化を更に求めるようになる。
国家の危機を救うためには、自己の変革が必要であり、そのためには自己の正しい認識が必要だ。運動に溺れず、思想にすがらず、超然として矛盾を理解して、正しく行動する。
それしか方法は無い。将来も無い。
27150