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Channel: 自我の終焉
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メディアの営業

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電通の強みは営業だと言われてます。

実際テレビがまだ市民権の無い一部のためのものであった時、電通の創業者がその営業力で広告収入でテレビ業界を育て、その後オリンピックを初めとした数々のイベントを広告やロイヤリティーなどの権利ビジネスと絡め広告代理店自体が社会に多きな影響力を行使できる存在に成長したわけですが、その原動力はその営業力です。

一方新聞には、その記事をインテリが書き、その販売は新聞販売店の営業力に支えられるというまた違ったメディアの営業の姿があります。

報道も実はこの営業力に支えられた側面があると想います。

さて、話は少し変わりますがスノーデンがハッキングによる情報革命をもたらしたことはメディアの歴史を大きく変える可能性があるといわれました。

情報の民主化ですね。

この情報の民主化革命が現在進行中だとして、このメディアが育つためには、それを支える営業力がまた必要では無いかとこの数年想って来ました。

マスコミが政府に迎合して、政府の広報機関の様に偏向する中、いかに洗剤を貰ってももう新聞を購買する気にはなりません。

テレビももう報道を見ることは、ありません。なくなっても困りません。

無くなったから広告代がかからないから物価は下がるのでしょうか?

どうもそんなことは無いのではないかなと想います。

いまやメディチ家が芸術家のパトロンになった時の様に、企業広告が報道やメディアを支えているだけで、これも先細りするでしょう。

それでは情報化は尻すぼみするのでしょうか?

先のことはわかりませんが、私は次のメディアの営業は宗教活動の様なものになるのかも知れないと想っています。

その営業活動は一種の伝道の様なものになるのではないかと

そのためにはメディアには教会が必要になるのではないかと。

その教会snsなのかどうかはわかりませんが、この教会作りに最近私は興味があるのです。

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